育った環境


人が言う、「育ち」とは一体何だろう・・

そんな疑問を抱いたのは、まだ16歳の頃だった。
世間体を気にすることしか能がない人間ばかりが周りにいたあの頃
とにかく私を取り巻く環境や人全てがウザイと思って過ごしていました。
心無い人の言葉の数々に、心に刺さったこともあった。
育ってきた環境は誰も同じではない
ましては容姿などの外見で勝手に決めつける大人に正直疲れていたような気がする。

私は入学した高校を一学期の終わりで退学し母が探し見つけてくれた学校へ編入学をした

女子高から男女共学の普通科への編入で、休み時間のたびにいろんな生徒が
見に来る毎日で、まるで檻の中にいる動物の気分でした。

思春期の編入なんてもう二度と経験したくはありません
ただ、あの時高校中退後に働くつもりだった私に
「せめて高校卒業の資格だけでも」と、動いてくれた母には今ではとても感謝しています。

学校が終わると、スーパーのレジ打ちのアルバイトをほぼ毎日3時間
おかげで店長にかわいがってもらえたので、帰りは車で送ってもらい
沢山の半額商品を抱えて帰り、家計を支えてました。(当時はOK)

生活がきついことは兄弟の誰よりも理解していたつもりだったし
頑張ったら頑張った分だけ、いつも何かしらの形でかえってくる
当時の食べ物のお恵みは本当にありがたかった(^^♪

兄弟6人と母との小さい借家暮らしはそれなりに良かったのかもしれない。


【私の育ちは、いいも悪いでもないという事】

アルバイト=貧乏だとか、スカート丈が短い=素行不良だとか、編入=わけありだとか

自分自身のことは棚に上げ、他人に対してくだらない思考に囚われる
かわいそうな大人にだけはなりたくない。と
当時の私にそう思わせてくれたすべての人達に『感謝』した高校生活最後の日だった。


何事も経験とはいうけれど、人も社会も変えられない。
自分は変えることができるということ
どんな環境であれ自分を信じて生きていくことはとても大事なことだと思った




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